ヒッチハイクを始めて3カ月。訪れた国はおよそ15ヵ国、出費は極力抑えたが、3万円しか残っていなかった。そろそろ本気でアルバイトを探さないと生きていけない。イギリスへ渡ろうと思った。
自分でも英語を聞き取る力はかなりついたように感じた。英語もブロークンであったが、日常生活をするには困らなかった。それよりも精神的にたくましくなり、性格も変わった。人生をケセラ・セラと捉えることができるようになった。
ウソも方便…
イギリスへ入国するとき、入国管理所で所持金3万円では2週間の観光ビザしか出さないと言われた。
私はとっさにまくしたてた。
「私は日本のカレッジで観光学を専攻した。授業でイギリスの観光産業が非常に発達していると習った。今回はそれを自分の目で確かめようとしてやってきた。貴国の観光産業を視察し、わが国の観光産業の発展に私なりに貢献したいので、ぜひよろしくお願いする。ロンドンに着いたら日本からおやじが送金してくれることになっている。」
必死であった。財布は、底をついているし、他の国ではアルバイトの可能性がなかった。何とかしてイギリスへ入り込むしかなかった。おやじからの送金の話はもちろんウソ。私の熱意(?)に押されて、3カ月の滞在許可書を出してくれた。他の日本人は10万円持っていても、2週間のビザしかもらえなかった。自分の英語力にかなり自信を持つようになった。
ロンドンのユースホステルに隣接している公園で野宿しながらフラット(アパート)とアルバイトを探した。最初の夜、雨が降ってきたので公園に駐車してあったバスの下に潜り込んだ。
翌朝何だか変な匂いがすると思って目を覚ましてみると、なんとそのバスは移動式のトイレであった。また毎晩夜中にパトロール中の警官にたたき起こされて閉口した。しかし頑張った甲斐があった。10日ほどして泊まる所とアルバイトが決まり、やっと一箇所に落ち着いた生活が始まった。
英語学校へ通う金がないので、週末はHyde Parkで過ごした。Hyde Parkの片隅に “Speakers’ Corner”と呼ばれる一角があって、さまざまな国籍の人が自分で持ってきた踏み台に上がって、それぞれ勝手に英語で演説をやっていた。しかし女王批判のスピーチをすると、どこからともなく警官がやって来て追い出されていた。当時の英語力では半分も理解できなかったが、いろんな訛の英語が聞けて、リスニングの練習にはもってこいの場所であった。私の中でロンドンと言えば“Speakers’ Corner”である。あの“Speakers’ Corner”は、
はたして今もまだ残っているであろうか。