「バイリンガル」と言えば…
「ネイティブみたいに英語をぺらぺら喋る帰国子女」をイメージしますか?
それとも国際会議などの同時通訳者でしょうか?
私も若い頃はバイリンガルに憧れたものです。しかし、沖縄に近い徳之島で生まれ育ったため、高校を卒業しても日本語の標準語でさえ満足に話せませんでした。中学・高校では英語オタクで、英語ばかり勉強、勉強、そして勉強の毎日。
日本の受験体制を批判して大学進学を放棄し、通訳ガイドを目指して神奈川の観光専門学校に入学した年、初めて外国人と英語で話すチャンスが!と思いきや、そのチャンスもむなしい結果となりました。
あれほど時間とエネルギーを投資した英語が全く通じないのです。
自分の将来に対する不安と日本の英語教育に対する不信感が同時に襲ってきました。
親からの仕送りなしで2年間、専門学校とアルバイトに明け暮れる日々…
目標はお金を貯めてアメリカの大学に留学することでした。
もちろん英会話は試行錯誤しながら独学でやるしかありません。
2年後、専門学校を卒業した時には、どうにか日常会話程度はできるようになっていました。
その頃には、日本語の標準語もそれなりにできるようになっていました。
しかし貯金が目標額に達しなかったため、米国大学留学の夢は「欧州ヒッチハイクの旅」へと変更に。
1971年のことです。1ドル360円の時代でした。
シベリア鉄道でソ連を横断してフィンランドへ行き、そこからヒッチハイクで3年間旅をしながら英語とフランス語、そしてスペイン語をマスターしようという壮大な計画でした。手持ち資金はわずか7万円です。